金魚鉢

オタクって楽しい

推しへの感情ってな〜〜んだ


私はオタクである。好きなジャンルが何個かあるオタクである。それぞれのジャンルに推しがいる。例えばあんスタだと朔間零だし、うたプリだと寿嶺二である。

 


今例えで挙げたこの2人だけれども、好きのベクトルは違う。

 


朔間零のことは簡単に言えば崇拝している。友人からも「もう宗教じゃん」と言われる。何をどうとれば崇拝になるのかは説明をするとあまりにも長くなりすぎるので割愛する。

 


寿嶺二はいわゆる「カプ推し」というやつだ。推しカプが2人でいることが好き。相手のことで悩んでいる姿が好き、といったやつである。

 

 

 

私の推しはだいたいこの2つに分類される。

基本的にはカプ推しが多い。というか大体がカプ推しかもしれない。

 


ところが最近、その2つに当てはまらない推しが出てきた。

 


ハイキューの赤葦くんである。

 


いや、最近って書いたけど、割と前から好きだった。なんならずっとiPhoneのロック番号(?)赤葦くんのお誕生日にしてる。大学生の頃、手が離せないときにLINEがあり、そばにいたパリピの先輩に「私のスマホに来てるLINE返してもらっていいですか?ロック番号は赤葦くんの誕生日です!!」と間違えて言ってしまったことがある。かなりきょとんとされた。ごめんなさい。

 


大学生当時は確かカプ推しだった。オタク友達と大阪旅行に行った時、夜中にそのカプの有名な二次創作(小説)について長々と語った。友人がまさかそのカプのことが好きだなんて思いもしなかったのでよく覚えている。

 


しばらくハイキューを追えずにいたのだけれども(試合のハラハラ感に耐えられない精神状態だったので。)最近、本誌で赤葦くんが成人したと聞き、改めて追い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イヤッ!!!!

赤葦くんかっこいい!!!

 

 

 

 

 

 

 

梟谷と狢坂の対戦を読んでリビングでゴロゴロ転げ回った。気持ち悪いな。

 


家族に推しめっちゃかっこいい〜〜〜!!と言いまくったが、基本的に相手にされなかった。それはそうだ。家族は別にオタクではない。オタクっぽさはあるが、オタクではない。

 


そこで、ハイキューも読んでいて私の生態をよく理解している友人にLINE攻撃を行った。毎度私が何かに夢中になるたびに話を聞かされる友人である。可哀想。今度何かいいお酒持っていくね。

 


赤葦くんかっこいい!!変人扱いされてるのめっちゃかわいい結婚して!!!!!

 


まあ要約するとこんな感じのLINEを送った。

 


すると「やっぱり(カプ名)いいよね」と言われた。それは私の大学生当時の推しカプであった。

 


そう、新しく読んだ場面にはなんと推しカプが一瞬だけだけれどもお話するシーンがあった。全然関係ないと思っていたのに。

 


大学当時なら発狂ものだろう。

 


なのに、「いや、推しカプも良いけど今私は赤葦くんが好きやねん(関西弁)」という感情に支配された。

 


ここで私は気づいてしまった。カプ推しではなくなっていることに。

 


じゃあ崇拝かな、とも思ったけれどもそれも違う。朔間零は人類のことを平等に愛して誰か特別な1人を作らないで欲しいと思っている。けれども推しカプかどうかは別として赤葦くんにはかわいい彼女がいてほしいと思っている。そして結婚して〜!と言いたい、と。

 


夢女子的なアレかと思って夢女子である強いオタクに聞いてみた。そしたら「じゃあシチュエーション決めよ!!!」と口頭夢小説のような会が開かれた。「あなたは赤葦くんより年上?」「えっ……年上、かな…」「ふんふん、それでどこで知り合うの?」「……学校……?」「いいね〜!青春!」

いや夢女子じゃないな、とこの辺りで気づいた。恥ずかしいしなによりキュンとしないのだ。

 


崇拝でもなくカプ推しでもなく夢でもない。

 

 

 

この感情はなんなのか。なんなら結婚して〜!って言いたいけど実際結婚してほしいわけではないし、ただ言いたいだけなのだ。

 

 

 

と、LINE攻撃を毎回受ける友人に言ったところ

 

 

 

 


「それただのファンなんじゃないの?別名推しとも言うけど。」

 


「フ、ファン!!!!!!!!!」

 


そっか〜〜そう言われればそうかもしれない。

いつも誰かを単体で推すとき、その推しのことを神格化しすぎていたのだ。

ファンなんて普通にしてみれば馴染みのある名称に考えが至らないくらいには、推しを神だと思っていた。というより神だと思わないといけないと思っていた。

 

 

 

でも別に誰かを推すことのハードルをそこまで上げる必要はないのだと気づいた日曜日だった。